日々潜ること、すなわち愛。海の変化を見守り続ける
僕はこの海の生き物たちが大好きなんだ!という気持ちが紙面から伝わってきて、“海中水族館”のカラフルな世界に心を奪われてしまうー。
そんな魅惑のビジュアルブック『湘南 波の下水族館』。
この本を、水中写真家・鍵井靖章さんとの共著で2021年3月に出版したのが、神奈川県葉山町を拠点とするガイドダイバーの佐藤輝さんです。
葉山町は三浦半島に位置し、神奈川県の相模湾に面する、いわゆる湘南と呼ばれる海岸線にあります。相模湾は非常に深いことが特徴で、その沖合には南から来る暖流・黒潮が流れているため、湾の浅い層には温かい水とともに南方系の魚がたくさん来訪。その一方で深い層には東北沖から南下してくる寒流・親潮系の水が流れ込み、冷水性や深海性の生き物も暮らしているという、生物多様性が豊かな海域です。
特に湾の東側にある湘南の海は西側よりも浅く、季節や水温によってさまざまな生き物たちが見られる“にぎやかな海”なんだとか。
その海に約15年間毎日潜り、四季折々というよりもはるかに細かな解像度で海中を観察し続け、感じ続けてきた佐藤さん。ダイビングガイドを生活のベースに据え、地元漁師や研究者の方々と協力して藻場の再生活動にも取り組む、“湘南の海の守り人”のひとりです。
くだんの本『波の下水族館』にはこれまで撮りためた水中写真を豊富に掲載し、その美しさや生命力の尊さを伝えるだけでなく、「海を守ろう!」というメッセージを存分に発信しています。
「ダイビングガイドとして海を案内することに加えて、海を守ることも僕の大切な役目です。本では、これまで15年間見てきた海の変化にも触れ、葉山で地元民が協力して行っている“海の森”再生活動(海藻の移植など)も紹介しました。湘南の海の魅力とともに、海を大切に思う気持ちも広まればいいなと」
(↑)生まれたてのキヌバリたちが泳ぐ様子。彼らを守るように生えているのは、海藻のカジメ(「湘南 波の下水族館」より。撮影:佐藤輝)
葉山育ちで、海は遊び場。学生時代は体育会系のヨット部に所属し、葉山の合宿所で生活しながらヨット練習に明け暮れていました。とは言えヨット選手で生きていこうとは露にも思わず、大学卒業後は順当に都内の大手ホテルに就職。それなりに楽しく働いてはいたものの…。
海中の世界との出会いが、人生の軌道を変えました。
「伊豆大島で初めて潜った時の体験がとにかく強烈で、今でも忘れられません。海の中の美しさ、豊かさに心から感動して…自宅に帰って母親たちに報告した時の僕のテンションが半端なかったみたいで、『あの時は目がとんでもなくキラキラしてた!!』っていまだに言われるくらいです(笑)」
ダイビングの魅力に取り付かれて海通いがスタート。最初は数ヶ月に1回、それが週1になり、ついに「毎日潜りたい!」と思うようになった頃には、ホテルを辞めてダイバーを仕事にすることを決めていました。
天職との出会いは突然降ってくる…ようでいて、伏線は必ずあるもの。大人になってしばらく眠らせていた、海を知りたい!という幼少期の好奇心。まるで、海洋生物学者のレイチェル・カーソンが言う「センス・オブ・ワンダー」(=神秘さや不思議さに目を見はる感性)がむくりと目覚め、ダイビングの世界へ導いたかのよう!
「衝動には勝てませんでしたね。子どもの頃から砂浜で貝殻を集めて調べるのが大好きでした。ヨット部時代もヨットハーバーで魚を調べたりしてましたから、海への興味や探究心は心の奥底にずっとあったんでしょうね。今も、大げさではなく毎日のように見たことのない生き物に出会って、そのたびに感動して、いまだに調べ続けている。子どもの頃のまんまなんです」
(↑)魅惑の色彩と不思議な形!セスジミノウミウシ(「湘南 波の下水族館」より。撮影:佐藤輝)
(↑)湘南エリアを代表する魚のひとつ、チャガラ。オスとメスがひれを全開にして求愛中の様子(「湘南 波の下水族館」より。撮影:佐藤輝)
サイパンでインストラクターの資格を取り、現地で4年の修行を積んで帰国。2005年、ふるさと葉山にダイビングショップNANAを作りました。
本を一緒に出版した水中写真家の鍵井さんとは、オープンした年のダイビングフェアで偶然出会ってから16年来の付き合い。2011年の東日本大震災の直後には、某週刊誌の企画で、岩手県宮古湾の海底の様子を撮影するために一緒に潜ったこともありました。
「震災後の海は、壊れた家具などが沈み、本当にぐちゃぐちゃで…。でもそんな中でも生きているものを探したい!という想いでした。そうしたら、いたんですよ。瓦礫の上に、ダンゴウオが!!感動しました。鍵井さんとはその後も親しくさせていただいて、今回の出版話も鍵井さんとのご縁から実現しました。有り難いです」
(↑)小さなお団子みたいで可愛いダンゴウオ。低い水温を好み、湘南では1月から5月いっぱい見られる(「湘南 波の下水族館」より。撮影:佐藤輝)
関東でダイビングと言えばやはり伊豆が聖地。佐藤さんが開店した当初の葉山にはまだショップが少なく、訪れるダイバーは体験か初心者ばかりで、上級者が訪れる場所ではなかったのだとか。しかし佐藤さんがNANAを構えてからは、スタッフみんなで海中の様子を丁寧に調べ、葉山の海がいかに魅力的かを積極的に発信し続けたこと、そして東京から近いというメリットもあってじょじょに客足が増え、今では上級ダイバーも足を運ぶダイビングスポットになったそうです。
(↑)葉山の海にて、ダイビングショップNANAの仲間たちと。右端が佐藤さん
葉山の海のファンが増える一方で、海の中では見逃せない変化も起こっています。それは、海藻の減少。佐藤さん曰く、「15年前に潜った時はあまりの海藻の量に浅場では進むことすら難しかったのに、今では浅場の海藻はほとんど無い」という有様だそうです。
「僕の実感として、葉山の海は7年前くらいから大きく変化し始めました。台風が大型化して、台風の後は海の中の地形が変わってしまうほど海が荒れるようになりました。水温も、7年前と現在とを比べると冬の最低気温が約2℃上がっている。海藻は低水温の時に生い茂るため、冬の水温が高いと成長してくれません。その状況で、ウニやアイゴ、メジナなどが海藻を食べてしまうという食害もあり、海藻が恐ろしいほど激減してしまいました。海藻が減ると、魚も減ります。まず海藻を取り戻すことが、いま一番の課題だと思っています」
佐藤さんが声かけしてダイバーを集め、地元の漁師や研究者と共にアマモを移植したり、カジメの胞子を蒔いたりして海藻を殖やす活動を続けており、少しずつ着実に成果が出ているそう。
「ただ、今年の海を見ていると、葉山では海藻が減っているけど三浦では多かったりして、一概にダメージが進んでいるとも言い切れません。水温についても、冬の最低水温が上がっている一方で、逆に夏の水温は以前より低いまま上昇してこない年もあったりする。一言で地球温暖化の影響とも言えない状況です。温暖化とは別の要因が働いているのかもしれないし、とても大きな“海の周期”のようなものがあるのかもしれない。詳しいことは僕には分かりませんが、海の生命力や再生力を信じたいという気持ちです。また海藻が豊かに生い茂る日が来ると希望を持ちながら、藻場再生のために出来ることを続けていきます」
(↑)黒潮に乗って南からやってくる、ハタタテダイの群れ(「湘南 波の下水族館」より。撮影:佐藤輝)
ダイバーとしての最終目標は、葉山の海のありとあらゆる生き物を知り尽くすこと。
ふるさとの“波の下”の魅力を誰よりも熟知し、発信していくことを人生のテーマと決めています。
「果てしない道ですけどね(笑)。そして、いつかここに『ダイビングセンター』を作りたい。あらゆるダイバーが潜りやすいように、海を愛する仲間が集えるように、葉山がもっと賑わうように。あと僕も毎日潜り続けてたら60歳くらいでしんどくなるかもしれないんで…僕の居場所として。“伝説のダイビングセンターのおやじ”になりたい。うん、これが僕の夢ですね!!」
海への愛と好奇心は尽きず。一生涯、葉山の海で感じるトキメキをシェアし続けます!
(↑)砂地から顔を出しているハナアナゴ。ちょっと怖がりだけどチャーミングで、佐藤さんのお気に入り!(撮影:佐藤輝)