こだわりこそ武器。魚も町もオンリーワンを目指す!
京都府の北部、日本海に突き出た丹後半島にある伊根町。
半島が本土側へ回り込む内側に位置する伊根湾は、湾の入り口にある無人島・青島(あおしま)が湾を守る格好となり、日本海でありながら非常に穏やかな海域です。湾を取り囲むように、漁船のガレージ「舟屋」が立ち並ぶ様子は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、唯一無二の景観を作り出しています。
(↑)伊根の「舟屋」。家と船着場が一体化した世界的にも珍しい建築物
伊根は、富山県氷見市、長崎県の五島列島と共に日本三大ブリ漁場としても有名です。その伊根湾で養殖業を営むのが橋本弘さん。丹精込めて育てるブリは「伊根ブリ」としてブランド化に成功し、今や知名度は全国レベル。天然ものに引けを取らない美味!と食通からも太鼓判を押されています。
「もともとブリの産地ですから、天然ブリの美味しさを知り尽くしている漁師たちがうちのブリを食べる。ものすごいプレッシャーですよ!絶対に味を落とせない。育成法も餌も、コストをかけてでもいかに品質を上げるかにこだわり続けてきました。そのおかげで今があります」
(↑)出荷用のブリ。自然環境になるべく負荷をかけないよう適正な規模で養殖している
家業を継いで漁師になろう、と子どもの頃から決めていた橋本さん。外の世界も見てこいと父親に諭され、一旦は京都市へ出て医療事務の仕事に就きましたが、23歳でUターンして念願の漁師に。
「赤字続きでしたから、親からは継ぐのを反対されていました。でも、やれることはあると思った。どこにもないものを作っていけば、どこにも負けないやろうと。新しいことをやってみるほうが自分もオモロイしね。で、魚の育成法を変えたんです。そして、作り手が分かる仕組みを作ろうって意識してました。こんな生産者が頑張っとるんやぞ、って顔が見える漁業にしたいなと」
伊根湾は水温が低いため魚の育ちが遅く、そもそも養殖業には向かない環境です。しかし橋本さんは、そのデメリットを逆手にとってブランディングしたらええやないかと新発想。
低水温でゆっくり、しかも低密度でゆったりと育てる育成法に切り替えたことで、身が引き締まってほどよく脂が乗った、天然ブリと遜色ない味わいを実現。また、餌には人工飼料ではなくサバやイワシなどで作られたモイストペレットを使うことで、不自然な脂が少なくて臭みもなく、変色しにくいブリを育てることに成功しました。
「生簀の中の魚数が少ないので餌を取り合うことなく、広々とした空間でよく運動するのでストレスもない。刺身がね、甘くなるんですよ!コストはかかっても味の違いは歴然なので、単価が高い高級魚になる。育成法を変えて2年で経営は黒字化しました。今の生産量は20年前の10分の1くらいですが売上げは増えています。岩ガキも同様で、育てるのに時間をかける分、実入りがよくて味も濃厚。4~5年で800gにまで育つこともあります。うちの魚は大半は他府県に出していて、他の地元漁師さんとは上手に棲み分けしています。ちなみに昨今のコロナ禍でも売上げに影響はありません。オンリーワンで良かったな〜とつくづく思いましたね」
(↑)岩ガキの養殖筏にて。海中から岩ガキを引き上げて洗浄機で洗って塊をばらす作業中
育てているのは魚だけではありません。若い漁師を育てるのも橋本さんの大事なミッション。新規の漁業就労者を増やすために京都府が開校した漁業者育成学校「海の民学舎」では、伊根町の漁師として研修生の受け入れに協力しています。
また、海洋高校(宮津市)の生徒らの見学や漁業体験、「漁師になりたい」と橋本水産の門を叩く若者たちの受け入れも…。
「漁師、増やしたいです。伊根の舟屋は観光資源にもなっていますが、それも漁師の暮らしがあってこそで、漁師がいなくては舟屋の意味がありません。でも漁師になるならちゃんと一人前になって独立してほしいので、うちの指導は厳しいです。あと、地元の漁師さんへのリスペクトを忘れるな!とも厳しく言ってますね。僕、海の上ではめちゃめちゃ怖いかも(笑)ただし、その人が幸せに働ける環境かどうかはすごく考えます。うちが株式会社化したのも、就労規則や福利厚生を整えて、きちんと雇用するためですから」
(↑)海洋高校の生徒らの漁業体験。4年間イワガキを吊っていたロープを掃除して再利用する為の作業。限りある資源を大事に使うのも橋本さんのこだわり
(↑)同じく漁業体験。生け簀への給餌作業
橋本さんが「漁師の暮らしがあってこそ意味がある」と言う伊根の舟屋。その舟屋が並ぶ独特の光景を目当てに多くの観光客が訪れますが、かつての伊根にはカフェなど観光客がくつろぐ場所がありませんでした。
伊根ファンやリピーターを増やすためにも、観光客の満足度をもっと上げたい。そんな想いで作られたのが観光交流施設「舟屋日和」で、橋本さんはその立ち上げから関わり、今も運営に協力しています。
「舟屋日和は、カフェや割烹、マルシェスペースなどが入る複合施設です。伊根にはそういう場所がひとつも無かったので、作りたいなと思って。僕、言い出しっぺの一人です(笑)もともと静かな漁師町ですし、観光客が増えることを良く思わない地元民がいないわけではない。でも僕は言うんです。元気がある町じゃないと人も入ってこないし、滅んでしまうで!って。地元民の気持ちも尊重しながら調整していくことが大事ですね」
(↑)舟屋日和のINE CAFE(イネカフェ)店内。伊根湾の景色を眺めながらゆったり過ごせる
漁師仕事に追われる毎日でありながら、就労支援に人材育成、観光振興と、ふるさと伊根が漁師町として存続していくために、さまざまな役割をもって心と時間を割いている橋本さん。
「直接メリットがなくてもやるべきことはたくさんあります。目先の利益を取ったり、独占したりすることよりもね、まず与えるというイメージかな。与えて、与えての精神でやっていると、いつかそれが大きな渦になると思ってるんですよ。観光のお手伝いもそうだし、メディアでの情報発信もそう。うちにはそんなにメリット無いですけど、伊根のブランド化のためならと思って取材の依頼は全部受けると決めてました。頑張ってきたなぁ(笑)」
(↑)フランスからの視察団にも対応。フランスで生産量が三本の指に入るレベルの牡蠣生産者だったそう
「でね、これからは若い人にはもう何も言わんとこかな〜とも思ってるんです。見守りに入ろうかと…」
えっ、もう隠居?!と思いきや。
「いや、自分がやりたいことがまだいっぱいあるんで、そっちに集中しようかと。伊根にしかない特産品を4つ作りたいんですよ。伊根まで来てくれないと食べられない逸品を。冬はブリ。夏は岩ガキ。あと秋と春で2つほしい。ひとつははもう決まってます。それは…イカです!秋のアオリイカ。食べて楽しんで、活けづくりを持って帰っていただきたい。とにかく伊根に『年に4回来てね!』って言えるようにしたいですね」
伊根の海や漁村文化、人々の営みを大切に守りながら、その風土を活かした養殖にチャレンジして、人を呼び、町を元気に。
「最近は、娘たちが伊根を自慢するようになったんです。インスタに伊根の風景をアップしたりしてね。これ、めっちゃ嬉しいですよね!こういう子どもたちは将来、一度は伊根を出てもきっと帰ってきて、ふるさとのために頑張るはずです。帰ってくる子らのためにも、50年後の伊根はもっと魅力的な漁師町であってほしい。そう願いながら、ここの自然に寄り添った漁業を続けていきます」