“熱源”人材 - NETSUGEN JINZAI

鹿児島

海はメッセンジャー。地球の声を届けてくれる。

ごみ拾い文化のフロントランナー

池田 龍介

RYOUSUKE IKEDA

PROFILE
生年月日
1984年11月27日
主な活動エリア
与論島内
非営利任意団体「誇れるふるさとネットワーク」代表。鹿児島県大島郡与論町出身。
SUP等マリンレジャーのガイドやエコツアーガイドとして働きながら、漂着ごみを回収する「拾い箱」の普及を通じて海の環境保全に取り組む。日本財団と環境省が共同で実施する海ごみゼロアワードで『一人の100歩から100人の一歩へ「拾い箱」プロジェクト』が2019年度のアクション部門・日本財団賞を受賞。

人が来れば来るほど綺麗になる砂浜にしたい!

鹿児島県の最南端にある与論島は、エメラルドグリーンの海が美しく、多くの観光客が訪れます。
その砂浜には、ごみを入れる白い箱が置かれています。箱の名前は、「拾い箱」。持ってきたごみを捨てるごみ箱ではなく、漂着ごみを「拾って入れる」ための箱です。
池田さんはこの「拾い箱」の生みの親であり、箱の普及を軸とした環境保全活動をコツコツと続けています。

「ごみは必ず流れてきます。でも、ごみがあったらその場で拾うという行動を、島全体で習慣・文化として根付かせることができれば、ごみの無い海岸を実現できると僕は本気で考えているんです。『拾い箱』という名前そのものが僕の願いでありメッセージです」

(↑)ヨロンマラソンでは来島者と一緒にごみ拾い。右端が池田さん

池田さんは、2014年3月31日に長野県から与論島へUターン。そして翌日の4月1日から、「美ら島(ちゅらしま)プロジェクト365」と名付けたごみ拾いを始めました。

「最初は自分一人だけ。とにかく毎日やろうと決めて、朝6時半から1時間のごみ拾いです。そしたら4日目に突然同級生が来てくれて、まさか?!と思いましたね(笑)その後も口コミなどで少しずつ人が増えていきました。雨の日はもちろん、台風の日は安全な場所で一人でやって、結果的に3年間毎日。プロジェクト名に偽り無しです」

ごみの回収や処分は与論町役場が協力してくれるようになり、たった一人でスタートしたごみ拾いは、1年も経つ頃には年間のべ3000人以上が参加する規模に成長。「砂浜を綺麗にしたい」という強い想いが行動を通じて島の住民たちに伝わったのは確かです。ところが池田さんは、いつからか違和感を覚えるようになったといいます。

「活動の輪が広がるのは嬉しいのですが、いつの間にか僕が“ごみ拾いの池田”と呼ばれるようになっていた。でもそれって何か違う。ごみ拾いは特定の誰かがやる特別なことではなく、みんなでちょっとずつ出来るときにやるのがいい。もっと普通に、あたりまえにやる。そういう島でありたいと思ったんです」

そこで、2年経った頃から集まってごみ拾いをするのをやめ、各人の都合に合わせた活動にスイッチ。そんな中から池田さんが思いついたのが、誰でもいつでもごみを拾えるように専用の箱を置くこと。それが「拾い箱」でした。

2017年3月に初めて設置し、町役場はごみの運搬だけではなく箱の制作にも協力。その活動が知られるにつれ、観光客の中にもごみ拾いをする人が増えました。
また、2019年から池田さんは島の小学校で環境に関する講義を行っており、それがきっかけで生徒らにも「島の海をみんなで守りたい」という意識の芽生えが。「拾い箱」は、島の大人だけでなく子どもたちの間でも定着しつつあります。

「小学5年生の子たちに、海ごみ問題や、プラスチック製品の大量消費と使い捨てによる悪影響についての講義をしました。彼らはその後、箱のリニューアル作業を手伝ってくれたり、島外から約800人が参加するヨロンマラソン(2019年3月)の前夜祭という大舞台で『拾い箱』を紹介したりしてくれました。次世代を担う彼らが、島外の人に向けて一緒に海を綺麗にしていきましょう!と呼びかけた。これってすごいことでしょう。環境教育として確かな手応えを感じていますし、島の文化が変わってゆく兆しだと思います」

与論島には砂浜が60カ所以上ありますが、現在(2021年2月)設置されている「拾い箱」は8個。多く設置すればいいというわけではなく、むしろ置けば解決すると思われたら逆に失敗。単なるごみ箱になってしまいます。

「向き・不向きの地域性もあるし、設置に最適なタイミングも地域によって違うので、やみくもに安易に広げないように慎重に進めています。そもそも文化はじっくり時間をかけないとつくれないもの。丁寧に焦らずやろうと腹をくくっています」

海はメッセンジャーであり、海が伝えてくれる地球の声をちゃんと受け止めていきたいと語る池田さん。
自分たち人間の使い捨て社会を考え直すきっかけをくれたのも海の漂着ごみでした。そして、「みんなの意識を変え、新しい文化を根付かせることができれば、島の未来はもっと良くなる」とポジティブな希望を持てているのも海のおかげです。

そんな池田さんが目指しているのは、与論島が「環境先進地」として地域の付加価値を高めていくこと。海が綺麗だから与論島に行くという観光客だけでなく、「みんなで海を守ろうとしている島だから行く」という人を増やし、観光振興と環境保全とを両立させるのが目標です。

「海ごみについては『拾い箱』の普及を進める一方で島外からの視察研修を受け入れます。また、大学生を対象とした環境教育プログラムも実施したい。別の切り口では、家庭排水にもアプローチしたくて、与論島で無農薬栽培した月桃のアロマを使って海を汚さない洗剤を作り、それを普及させるという計画も進めています。“ごみがあったら拾う島”、さらに“洗剤で海を汚さない島”になれたら最高ですね!環境保全に力を入れている地域だからこそ人が集まり、結果として経済も活性化するという、そんな成功モデルを与論島で作ります。それがゆくゆくは日本全体の環境優先度を上げることに繋がっていくはず」

ふるさとの島に新しい価値を生み出すべく、じっくり長期戦を楽しむ構えの池田さん。
“一人の100歩より100人の一歩”の精神で、ありたい未来に確実に近づいていきます。

★ 編集後記 ★ 実はこんな人!

島にUターンする前に池田さんが働いていたのは、海の無い長野県の泰阜村(やすおかむら)という小さな山村でした。「修行のつもりで6年間、山の中で自然体験や環境保全の仕事をしてました」とのこと。離島とは正反対の環境の中で、逆に離島の素晴らしさを思い知り、郷土愛が増したそうです。

自分を海の生き物に例えると?

「ナマコですね。ナマコは海底の泥を黙々と食べることで浄化する役割を果たしていて、白くて綺麗な砂浜を作ってくれている。目立たないけど実は地球のためになっている、という感じがとても良いです!」

地道にじわじわ、ごみ拾い文化を広げて地域をより良くしていきたいと願う池田さん。ナマコのように頑張ってください!