“熱源”人材 - NETSUGEN JINZAI

富山

海は、魚のふるさと

日本一歴史が古い水族館の名物館長

稲村 修

OSAMU INAMURA

PROFILE
生年月日
1957年6月13日
主な活動エリア
富山県内
日本で現存最古の水族館「魚津水族館」の館長。富山県入善町出身。
1980年から魚津市立魚津水族館で働き、翌年に飼育技師として魚津市役所に入庁。1996年に学芸員、2011年から現職。その間、市の職員として水産業や教育、地域資源を生かしたまちづくり政策等に関わった時期もあり、人脈も守備範囲も幅広い。研究者としての専門分野は魚類学、生態学、環境科学で、発光生物としてのホタルイカ研究では日本の第一人者。富山県の魚はもちろん食文化にも造詣が深い。日本海学推進機構専門委員。環境科学博士。

「地域を見せる」がこだわり。ふるさとを伝える水族館でありたい

富山湾の春の風物詩といえば、ホタルイカ。
美味なる特産品として有名ですが、その神秘的な生態も大きな魅力です。ホタルイカは腕や目などにいくつもの発光器をもつ深海性の発光動物で、青白い柔らかな光を放つのが特徴。群遊する様子は“海の銀河”とも称されるほど美しく幻想的で、「ホタルイカ群遊海面」として国の特別天然記念物にも指定されています。
(※ホタルイカそのものの指定ではないので獲ったり食べたりすることに問題はありません)

そのホタルイカの研究拠点として知られているのが、富山県で唯一の水族館、“うおすい”こと魚津水族館です。

「魚津水族館は実は日本で最も古い歴史をもつ水族館で、ホタルイカ研究では世界トップクラスの実績を誇ります。ちなみに、1914(大正3)年8月13日に暴風雨で停電になった魚津水族館でマツカサウオが発光していることが発見されたんですけど、それ、実は世界初の発見だったんですよね。なので魚津水族館では、ホタルイカとマツカサウオのキャラクターを玄関に飾ってお客様をお迎えしているんです」

楽しげにそう語るのは、稲村修さん。現在の“3代目うおすい”の館長です。

(↑)日本初のアクリル製トンネル「富山湾大水槽」の前で記念撮影。右がホタルイカ、左がマツカサウオ。この書は、富山湾で捕獲されたアカナマダの墨を使って職員が書いたそう

初代うおすいは、1913年に日本海側初の水族館として創設されました。その後、一時的に閉館した時期もあったものの、2代目(1954年〜)、3代目(1981年〜)と場所を変えながらも営業を続け、初代から数えたら現在(2021年)まで足かけ108年!

歴史が長いうえに展示の充実度も高く、『北アルプスの渓流から日本海の深海まで』『日本海を科学する』をキャッチフレーズに、約330種1万点の生物を展示するうおすいは今も多くのファンに愛され、2021年度で3代目うおすい開館40周年を迎えています。

稲村さんは大学時代に水産学を学び、当時は「将来は魚のバイヤーになって世界で活躍する!南の島で綺麗な奥さんに囲まれて幸せに暮らしたい!」(本人談)という夢を抱いていたそうですが、家庭の事情から卒業後は故郷へUターン。たまたま求人していた魚津水族館で臨時職員として働き始め、翌1981年には正式に職員となりました。

以来、ホタルイカの飼育を担当するとともに発光器の研究にも着手。「専門家から色々教わり、お互いに役に立つために必要以上の知識を身につけるよう努力してきました」と語る稲村さん。学びを深めるために水産庁の調査船に2ヶ月間乗船したこともありました。

市の職員であることから、水族館を離れて農業水産課で漁協の合併に関わったり、教育委員会では生涯学習の振興を、はたまた企画政策課で地域資源を生かしたまちづくりプロジェクトのチームリーダーを務めたことも。そんな幅広い経験を経て、2011年にうおすい館長に就任しました。

館長としてこだわっていることは、地域とのつながりを重視した“ふるさとの水族館”であること。
「単なる観光施設じゃない。ふるさと教育の場だ」という信念をもって、地域でのフィールド調査に基づいた水族館づくりを心がけています。
だからうおすいの展示は、一部を除いて多くは地元の海や川でとれる魚たち。スタッフが自分たちでとりにいくこともしばしばです。

地域密着型であるゆえに、地元民の協力も欠かせません。県内の各漁協や漁師さんから珍しい魚が持ち込まれることもよくあり、展示のマニアックさ、奥深さに繋がっているそうです。

「うおすいにはイルカやジンベエザメはいない。でも“本物の富山の魚”がいる。うちのスタッフは実際に富山の山や川へ行って、自分たちで調べて、コーナー企画やイベントなどを通じて自分たちの手法で伝える工夫をしている。展示内容には自信ありますよ!」

【職員がフィールドに出るのは当たり前。もちろん、館長の稲村さんも…!】

(↑)市内の角川(かどがわ)で展示用のアユを捕獲するため投網を打っているところ(6月に鮎網漁が解禁になります)

(↑)真冬の極寒の中で河川調査

そんな稲村さんは、50歳になる2007年、北海道大学大学院へ社会人入学しました。

「当時、年に何十回も富山の魚についての講演をしていたんですけど、自分が喋ってる内容に飽きちゃって(笑)。『仕入れのない商売は無い』というオフクロの教えを思い出して、新しいことを仕入れなきゃいかん!!という思いに駆られて。水族館では魚が『料理』に当たりますが、魚たちをを取り巻く『器』、つまり環境のことをもっと深く知ろうと、もう一度大学で学ぶことにしました」

魚の『器』、すなわち海の生態系(エコシステム)について5年間かけて学び、環境科学の博士号を取得。その経験から稲村さんは、「さかなのふるさと教育をしたい」と考えるようになりました。

「僕たちにふるさと(故郷)があるように、魚たちにもふるさとがある。つまり生きている環境のことです。水族館は、生き物を見せるだけじゃなくて、生き物のふるさとを見せることが本当の使命じゃないかな。僕はそれを『魚のふるさと教育』って呼んでいます」

そんな展示をするためには、やっぱりフィールド調査が必須。そして現場で得てきた情報を分かりやすく伝える見せ方、解説の書き方、情報発信の仕方も重要です。
例えば館内の解説板には、生き物の特徴だけではなく、スタッフが海や川の現場で実際に調べてきた情報、現場に行かなければわからない状況を細かく書いています。

またうおすいでは、市内の小学校へスタッフを講師として派遣して魚の生態などを教える出前授業や、子どもたちと一緒に海や川で行う生態調査なども積極的に実施。そんな地域密着の活動を積み重ねながら、型破りで遊び心のある情報発信ができるスタッフが着実に育っているそうで、稲村イズムはしっかり受け継がれているよう。

(↑)魚津市のふるさと教育の一環として市内の小学校で実施した、水族館学芸員による出前授業。実際にホタルイカをもっていきました!

(↑)事前の解説中にサングラスをかけてもらって目を慣らした後、真っ暗な暗室でホタルイカが実際に発光する様子を観察

「魚津水族館は、子どもたちに“富山の魚”と“富山の魚のふるさと”を知ってもらって、ここをきっかけに地元の自然のフィールドへ飛び出していきたくなるような、そんな存在でありたい。そのためにスタッフのスキルアップは絶対に必要です。今の僕が担当する飼育生物は、ズバリ職員(笑)。館長になってからは、人を育てることが何より大事な仕事だと思っています。自分たち自身が考える“ふるさと富山の生態系”をちゃんと伝えられる人材になってもらいたいですね」

(↑)うおすいスタッフ大集合!後列中央が稲村館長

★ 編集後記 ★ 実はこんな人!

とにかくお喋り上手でユーモアセンス抜群の稲村館長。
「僕はいつも楽しみたい!飼育員が楽しんでいないと水族館が楽しいわけない!」と、スタッフの個性が炸裂したユニークな企画が盛りだくさんなのも魚津水族館の特徴です。

あなたを海のいきものに例えると

「オニオコゼ。オニオコゼって大きくて動かなくて、背中のトゲに猛毒があるんだけど、食べたらフグなみに美味なの。それって、待ち伏せ型で、トゲのような毒舌で、食べると美味しい、僕と一緒やーん!!」

…面白すぎて突っ込みが難しいです。名物館長に会いに行きたくなる水族館、それがうおすい。マニアックなファンが多いのも納得!