“熱源”人材 - NETSUGEN JINZAI

岡山

豊かな海への憧れが、私の原点。

“地理屋”の海ごみ研究員

塩飽 敏史

TOSHIFUMI SHIWAKU

PROFILE
生年月日
1975年7月26日
主な活動エリア
岡山県内
公益財団法人水島地域環境再生財団(みずしま財団)の理事兼研究員。岡山県岡山市出身。
大学と大学院で地理学を学び、みずしま財団初代理事長、故・森瀧健一郎氏(岡山大学名誉教授)が恩師だったことから2001年に同財団に就職。海ごみ担当研究員として海底ごみの実態把握や調査結果に基づく啓発を続けている。

地道な調査と地域密着。“市民の声”で、ごみレス社会へ!

岡山県倉敷市の水島地域は、かつてコンビナートによる大気汚染公害で苦しんだ街です。
その体験や教訓を踏まえて、行政や企業、研究者が協働して公害のないまちづくりを進めていくための拠点となっているのが、水島地域環境再生財団。通称みずしま財団です。2000年3月に設立され、水島の環境再生に関わる調査・研究、人材育成や組織間コーディネート、環境学習サポートなどの役割を果たしています。

その初代理事長、故・森瀧健一郎氏に研究員としてスカウトされたのが塩飽さん。2001年から同財団の「海ごみ担当」として、長年に渡り調査に取り組んでいます。

「初代理事長は地理学の専門家で、私の大学時代の恩師でした。地理は自然と人との関わりを複眼的・包括的にとらえる学問なので、その基本姿勢は今でもとても役立っています。森瀧は当時、水島の環境を良くするには汚染が進んだ瀬戸内海の再生も必要だと考えて、『海底ごみ』に注目しました。海底ごみは人目につきにくく、当時はまだほとんど調査されていませんでしたので、まずはその実態を明らかにせねばならない、と」

(↑)清掃活動の後、拾った海ごみについて説明する塩飽さん

漂着ごみに比べると話題になることの少ない海底ごみ。
見えにくいため問題意識をもたれにくいですが、漁師さんにとっては大問題です。堆積した海底ごみは漁業の妨げになり、大きなごみが網に掛かると引き揚げるのにも一苦労です。

また、海底に潜る生き物たちにも海底ごみは大迷惑。瀬戸内海の海底質は砂泥なのでごみが沈んでたまりやすく、たまると海底土壌中の海水循環による酸素供給が妨げられて、生き物が棲息できなくなるばかりか水質汚濁も進みます。
さらに瀬戸内海は閉鎖性海域ゆえに、ごみが外へ出て行きにくい。つまり流れ込んだごみは回収しない限りたまり続けるのです…。

塩飽さんは、瀬戸内海の水島灘に面する寄島町漁協などの協力を得て底引き網の漁船に乗りこみ、操業中に回収したごみの重量や個数、種類を記録。その調査を10年以上続け、海底ごみの被害実態を把握しました。

得られたデータに基づいて、2002年に海底ごみの減量化に向けた政策提言を国や県に提出。翌2003年には岡山県の助成を受け漁業者のための「海底ごみ回収ステーション」を設置することができ、漁業者と行政が協働して海底ごみの回収・処理を行う体制が整いました。その後10年間で、岡山県沿岸7市に10基以上の海底ごみステーションが設置され、確実な成果を上げています。

(↑)底引き網で上がった海底ごみを一時保管する専用のごみステーション

「それまでは、網にかかった海底ごみの運搬や処理の費用を漁師さん自身が負担しなくてはならなかったので、多くの漁師さんはごみを海へ再投棄していたんです。でも『海底ごみ問題を何とかしたい』という想いは当然皆さんあるわけで。漁師さんの負担を軽くする仕組みを整えたことで、良いサイクルが回りだしました。ただ、ごみ回収を進める一方で、ごみの発生を抑制する施策も大切です。そこは両輪で回していく必要があります」

実は、海底ごみ調査から判明したもうひとつの事実があります。それは、海底ごみの8割以上が内陸部の日常生活からでたプラスチック系ごみだったということ。多くは用排水路や河川を通じて瀬戸内海へ流れ込んだものと推測されたため、みずしま財団では2010年度に「高梁川流域における海ごみ対策基礎調査(岡山県委託事業)」を実施し、高梁川流域から年間約130tものごみが海へ流入しているとの推計をはじき出しました。

「生活から出るごみ自体を減らすには、啓発活動を続けることで市民の皆さんの意識を変えていくしかありません。財団では、講演会や体験イベント、啓発パンフレットの制作やパネルの貸し出し等を行っていて、特に漁業体験は手応えを感じています。底引き網の漁船に乗って、海底ごみが大量に上がってくるのを目の当たりにすると、やはり参加者の意識は変わります。特に子供たちの学びは親御さん方にも影響を与え、波及効果が生まれているようです」

(↑)漁業体験イベントでの様子

さらに、次の一手。ごみが海へ流れ出て海底にたまってしまう前に、内陸部で回収して適正に処理する仕組みを作れないだろうかー。
こう考えた塩飽さんは、2020年12月から2021年3月にかけて、ある実験を行いました。岡山市内の市街地の用水路11カ所に網を仕掛け、どのくらいごみがたまるかの検証です。その結果は…

「2kmにも満たない水路で4ヶ月で160kg。意外なほどの多さでした。でもこの結果は朗報でもあって、市街地の水路という身近な場所で、網を仕掛けるだけで効率的に確実にごみを回収できたということです。これを定期的にやれる仕組み、例えば地元の町内会で日常的に網をチェックしてもらうとか、そういった方法も考えられるのではないでしょうか。内陸部の自治体は、『ごみが流れていった先の自治体が何とかすればいい』ではなくて、自分たちのところでも出来る回収を少しずつやるべきでしょう。沿岸部も内陸部も、それぞれに住んでいる人たちが負担を分け合って、それを行政がサポートすることで継続していける仕組みを作っていきたいです」

(↑)高梁市のスポーツ少年団と一緒にごみの分類・集計調査

恩師に託された海ごみ問題。
塩飽さんの取り組みは、海を相手にした調査・研究をベースに、人の営みに働きかけるフェーズへと移行しつつあります。

海ごみ問題を根本的に解決するには、“大量生産と使い捨て”という社会の在り方を切り替えていかねばならず、今後あらゆるメーカーは「不要となった時の回収までを考えた製品づくり」を求められます。そして、メーカーの姿勢を変えるよう後押しするのも「やっぱり決め手は市民の声!」と塩飽さんは言います。
行政への政策提言を積極的に行いながら、内陸部を含めた住民が「みんなで海を守る」という意識になれるよう、そして声をあげて具体的なアクションを実践していけるよう、いろんな方法で海ごみ問題の現状と打開策を伝えていく。それが今後のミッションです。

「そういう意味でも、内陸部の用水路でごみを回収する仕組みを作れるかどうかは重要なチャレンジ。どこかの地域と連携して、より大規模な実証実験をしたいです。岡山市や倉敷市は温暖で降雨が少ないため農業用に灌漑用水が発達したという歴史があり、その名残で現在も水路が多いんです。この地理的特徴を活かしてごみ回収体制を整えることができたら、岡山ならではの海ごみ解決策になるかもしれませんよね。このような、住民レベルの草の根活動を積み上げていくことで、社会を変えていけると信じています」

地域に根ざした、地道で人間くさいアプローチこそ、社会変革に繋がっていく可能性大。そう思わせてくれる熱源さんです。

★ 編集後記 ★ 実はこんな人!

「実は、塩飽水軍の末裔なんですよ…」と、フフフと笑う塩飽さん。
塩飽水軍と言えば!村上水軍と並び称される、戦国時代の瀬戸内海の海賊です。特に塩飽水軍は、操船技術や造船技術が高かったそうで、まさに海の技術者集団。
「ただし私はあまり泳げないんですけど」。えっ…。

自分を海の生き物に例えると?

「やっぱり塩飽水軍ですかね。潮の流れを知り尽くし、航海術に長けていた、瀬戸内海の水先案内人。憧れます!!」

海を守る仕事に就くことになったのも、海と共に生きた海賊の遺伝子にスイッチが入ったからかも?!ご先祖さまのお導き!